11月21日(月)、農楽母さんと農事通信員の笠井さんは、震災の復興のために作ったお米の一部を福島までお届けに行ってきました。

このお米はまだ春先のこと、永田町黒澤の料理長佐藤さんからお声をかけて頂き、「一緒に何か出来ないだろうか」、と考え、黒澤スタッフの皆さんと共に田植えから稲刈りまで取り組みました。

皆さんと一緒に共に泥んこになり、そして汗を流しながら作ったお米です。

農事通信員の笠井さん、東京農楽娘の鹿野さん親子、そのお友達などにもお手伝いを頂きました。

そこにさらにアトリエデフの皆さんからも「お米の供出にご協力したい」とのお申し出を頂き、合計300キロのお米を支援のお米としてお届けできることになりました。

300キロのお米の行き先は、100キロを福島市内のお母さんたちが立ち上げた「野菜カフェ“はもる”」さんに。

100キロを、福島市内の児童養護施設「愛育園」さんに。

そして100キロを、福島県金山町と言うところで月に1回開催されている子どもキャンプの皆さんへ、そして、石巻で復興支援に取り組んでいる皆さんへ。

お正月には石巻にて炊き出し等のお手伝いも出来ないかと、現地の方と話を進めているところでもあります。。

お米の放射能測定を京大原子炉実験所の小出裕章さんにお願いした結果、セシウムが検出されませんでしたので、福島のお母さん達、愛育園の先生たちにも喜んでいただけました。

まずは福島市新町に11月11日にオープンしました「野菜カフェ“はもる”」さんへ。

このお店は、子どもたちを守るために放射能と化学物質に汚染されていないお野菜やお米などを販売する八百屋さんでもあり、子どもたちの避難、疎開を支援するための情報提供、そして、不安を抱えるお母さんたちのコミュニケーションの場としての役割を果たしています。

店長の陶山さんです。高校生のお子さんを持つお母さんでもあります。

涙をこらえながらお話をお聞きする笠井さんは、郡山に小さなお子さんを含むご親せきがいらっしゃいます。

原発事故以降、そのお母さんの心と子どもの成長にずっと心を寄り添わせてきましたので、陶山さんのお話にも深く共感できるのでした。。

陶山さんは、まず、このようにおっしゃいました。

「長野からですか・・。いいですね・・、何も考えずに作ったものを食べられるんですね・・。」

長野では原発事故以前と変わらずに当たり前のように作ったお米やお野菜を口にすることが出来ていますが、福島では、特に小さなお子さんを持つ親御さんは、内部被曝のことを考えずに食事を摂らせることが出来ないストレスを抱えたまま日々を送っているのです。

今、スーパーでも学校給食でも県内産と、北関東産のものしか入らなくなってきているそうです。

一時は、県外産のものは2倍以上の値段が付けられていたこともあるそうです。

学校給食を断り、おにぎりを持たせるお母さんもいるそうで、先生方も本音ではそうしてほしいと思っている方もいらっしゃるということでした。。

福島の農家を支えるために必要な措置、しかしそれは、今のままでは子供の健康を守ることにはつながりません。

農楽母さんが知り合った福島の有機農家の方達でも、苦渋の決断の上で移住を決めた方もいらっしゃれば、苦渋の決断の上でこれまでの土地に残って農業を続けていらっしゃる方もいます。

しかし、残って続けていらっしゃる農家の方もこう本音を語ったそうです。

「孫がいたら数値の高い福島産は食べさせられない」

と・・・。

農楽母さんは、福島の農家を支えるために、その野菜を食べなければならないのは放射線感受性の低い大人たちであり、子どもたちには安全なものを与える必要があると思います。

そのために必要な措置は、きちんとした計測結果を数値で出し、購入する側が選択できるようにすること、そして、学校給食にはより安全なものを提供すること、だと思います。。

店長の陶山さんは、「原発事故によって全てのコミュニケーションが分断された。夫婦、家族、友達関係、全てがそれまでと同じ意識を共有できなくなってしまった。それが一番の問題」「心の探り合い。この人に話して通じるかどうか、という不安を多くの人が持っている」と、語ってくださいました。
また、国や東電へは「怒りを通り越しました。どれだけ言葉を伝えても無駄でした。言葉が通じませんでした。同じ人間とは思えませんでした。。怒りを通り越して今感じていることは、身近な行政に対して何度でも声を伝えに行くこと。また、経産省前のお母さんたちの座り込みのように、編み物をしながらでも、無言の訴えをすること。いのちを守り、いのちをつなげたいという思いの力を伝えて行きたい」と語ってくださいました。
これは、子どもを守ろうとする母親たちの、「動ではなく、静の力」、ですね。。
この無言の訴えは、すでに世界中に共鳴して広がっているということです。
他にも、ここには書ききれないくらいのお話をお伺いしました。。
支援の玄米をお渡した時の写真です。

陶山さんは、高校生のお子さんと移住について何度も何度も話し合ったそうです。

高校生ともなればインターネットでいろいろな情報を手にすることが出来、表面は平静でいても内心不安を大きく抱えます。

でも、移住しないと決断したお子さんに対し、「わかった。お母さんも一緒に宿命を背負う。覚悟を決めてここにいる。」と、そういう言葉を出すまで、大変な話し合いを繰り返したのだそうです。

そして、移住をしない決断をした中で自分たちが出来ることとして、不安を抱えるお母さんたちのために、この「野菜カフェ“はもる”」を立ち上げることにしたのだそうです。。

福島市内では、すでに甲状腺腫と診断されたお子さんも出てきているということです。

農楽母さんは、もし自分が福島のお母さんだったらどうするか、、と、考えます。。

皆さんも、もし自分が福島のお母さんだったらどうするか、、考えてみてください。

そうして、あまりにも深い傷を負っている福島のお母さんたちの思いを、我がこととしてとらえてみてください。。

陶山さん、お忙しい中長時間にわたるお話を、本当にどうもありがとうございました。

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