日本にはいくつかの武道があります。

剣道、柔道、合気道、、、、そして弓道。

皆それぞれに精神性と礼儀作法を重んじる「道」ではありますが、その中でも弓道は他の武道とはだいぶ質が異なります。

まず、対戦相手と交わることがありません。

直接触れることもなければ、目を合わせることもありません。

道場への入場から退場まで声を出すことを許されませんし、矢が的に当たったとしても外れたとしても感情を顔の表情に出すことも許されません。

一切が静寂の中でとり行われ、競技者の相手となるは、28メートル先にある直径30センチの的と、それに向き合う自己の精神だけなのです。

入場の際の礼の角度、足の運び、目線、立ち位置、弓を打ちおこし、引き分け、離れに至る立ち居振る舞いには事細かに決めごとがあり、それは様式美の世界にまで高められています。

確かにその振る舞いは、緊張感を伴うとても美しい世界です。

弓は、的に当たらなければなりませんが、同時に正しく美しい射形も問われるのです。

「正射必中」です。

農楽息子は中学一年の時から高校3年生に至るまで弓道を続けてきました。

思い起こせば弓に興味を持ったのはまだ小学生のころ。

三国志の登場人物である弓の名手、黄忠(こうちゅう)に憧れたことが始まりでした。

母屋の裏にある竹やぶで竹を切って弓を作り、鳥の羽を拾い集めては竹や葦で矢を作り、畑やあぜ道で作った道具をつかって遊んでいました。

中学に入り、「どうしても弓道をやりたい」と泣いてまで言い張るので、農楽母さんも覚悟を決め大岡から片道一時間半もかかる運動公園の弓道場まで週に2回夜に山を降りて送迎する生活を始めました。(これがヨーヨー生活の始まりですね!)

中学時代には、社会人のクラブの皆さんに厳しく暖かく育てて頂きました。そして、全国中学生弓道大会へ長野県代表として参加、明治神宮で弓を引かせて頂きました・・・。

その後、長野日大高校の弓道部の先生から「一緒に弓をやろう」と、お声をかけて頂いて進学。長野日大高校弓道部の仲間としてこの3年間続けてきたのでした・・。

昨年は、長野県大会で準優勝と涙をのみ、今年は昨年の雪辱を果たしてインターハイ出場を勝ち取りました。

でも、全国の壁は厳しかったですね・・。

予選は通過したものの、技量、気迫ともまだまだ力が及びませんでした。

チームとしては決勝トーナメント1回戦で敗れましたが、全国の舞台で○○○○ ×○○○と、よく健闘したと思います。

試合終了後のことです。

農楽息子が農楽母さんを睨みつけつつニヤニヤとして歩み寄ってきました・・。

「一体どうした?」と思っていましたら

「お母さん、6年間ありがとうございました」 ペコリ(頭を下げて)

「!!」

そうですか、、、照れ臭さと、でも言わなければ、、と、その両方の思いが合い交じり「睨みながらニヤける」という複雑な表情となっていたのですね。(笑)

農楽息子こそ、お疲れさん。

インターハイまで連れて来てくれてありがとう。しかも、開催地は母の生まれ故郷の盛岡でした・・・。

そして、楽しい夢を見させてくれてありがとう。

立派な射でした。

農楽母さんはずっと、弓道とは個人技だと思っていました。

でも、途中から農楽息子は「いや、高校弓道の面白さと醍醐味は団体戦だ」と言い始めました。

言葉を交わさなくとも、空気や間合いで感じ取る仲間との連帯感、責任感、絆というようなものを団体戦を学ぶ中で知っていったのでしょう。

素晴らしい先生と仲間たちに囲まれて幸せな高校弓道生活でしたね!

ここまで育ててくださった長野日大弓道部の武藤先生、そして仲間たち、3年間本当にどうもありがとうございました!!

みんな、明日からは気持ちを切り替えて受験勉強まっしぐらですね!頑張ってください!

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