Archive for 1月, 2012
今日は、つかの間、青空が広がりました。。
でも、その後は、粉雪が降り続いています。
お友達から電話があり、「これから3日にかけて今世紀最大の寒波が来るそうだから・・・」と教えて頂きました。
2005年の大寒波以来なそうです。
さあ、しばらく雪かきが大変です。。そしてもしかしたら下界へも降りられなくなるかもしれませんね。。
そんな心配事をよそに農楽子猫たちはラグの上でくつろいでおります。。
ミコ太の天然毛は、ラグと同化しています。
それにしても、、気持ちよさそう!
・・・明日の朝は、雪がどれだけ降り積もっていることでしょう・・・。
降り続いた粉雪が止み、、、満天の星空が広がりました!!
空気がとても澄んでいるので、星に手が届きそうです!
お炬燵に入りながら、農楽母さんは、チクチクと縫物を進めます。。
お向かいでは農楽娘がギターを爪弾いています。。
最近のお気に入りは、BUMP OF CHICKEN の「花の名」という曲です。。
ふとしたフレーズに、縫物をする手と心をとめます。。
「簡単なことなのに どうして言えないんだろう
言えないことなのに どうして伝わるんだろう・・・
一緒に見た空を忘れても
一緒にいたことは忘れない・・・」
「生きる力を借りたから 生きているうちに返さなきゃ・・・
涙や笑顔を忘れたときだけ思い出して下さい
同じ苦しみに迷ったあなただけに歌える歌がある
ボクだけに聞こえる歌がある・・・」
静かできれいな曲ですね・・・。
曇り空の一日でした。。
今日は、小さな小屋の2階のスギの木の部屋に、蜜ろうのワックスがけを始めました。
アトリエデフさんに作って頂いたこの空間、スギの木の無垢材で床も壁も天井も仕上げてありますので、とても心が和らぐ空間となっています。
スギの板は、カラマツのような硬さが無く、とても柔らかく温かみがあるのです。。
それは、素足になると良く感じることが出来ます。
窓の外に雪景色を見ながら作業を進めました・・。
母屋に戻りますと、、、こちらにもくつろぎの空間が・・・。
薪ストーブの前で、天然素材の生き物たちがくつろいでいたのでした・・・!^^
農楽里ファームの母屋は木と土と紙でできています。
ですので、隙間風が骨身にとてもしみるのです。。。
夏の間、農楽子猫たちが障子にダイブしたり引っ掻いたりと、散々風通しを良くしてくれたおかげで、この冬は特に隙間風が吹き込みます。。
「え ? ボクのこと??」 ハイハイそうです、きみたちのことです!(笑)
このままでは冷え性の農楽母さんにはきつすぎる、、と今日は思いきって障子の張り替えを始めました!
障子の張り替えには、小麦粉を水で溶いた糊が一番良いですね・・・。
全面張り替えの障子1を一枚、穴のあいた隙間に張る作業を無数に・・・。
それから、居間の大きなテーブルを移動し、フワフワのマットを敷いて炬燵を置いて・・・ようやく人並みの温かさの空間が出来ました!
体が一安心したところで、、夜は、モンペを縫い始めます。
新たに誕生しました農楽娘たちを想いながら・・・。
昨晩から、久しぶりに雪が降り続き、今朝は一面の雪景色になりました。
しばらくブログをお休みしていましたが、心は全てを真っ白に覆い尽くすこの純白の雪を待っていたような気がします・・。
農楽里ファーム母屋の居間の窓から見えるお向かいの山。。
濃霧もかかり、幻想的です。
カヤの木の梢にも雪が乗り・・・
小躍りするような心持で新雪を長靴で踏んで歩きました!
母屋の屋根を見上げると、薪ストーブの煙がたなびいていました・・。
これから冬の間は、のんびりとしたペースでのブログの更新となりますが、皆さん、どうぞよろしくお願いします!
今日、1月7日は慶師集落のどんと焼きの日でした。
お正月の松飾りや、去年のだるまなどを、稲ワラ、小枝の束、アカマツの木の枝、青竹と組み立てて、共に燃やします。
炎が勢いよく天に上ります。
青竹からは、パーン、パーンっと竹がはぜる音が響きます。。
風向きが変わり、炎のかなたにお月さまが顔を出しました・・。
ばあちゃん達は、アルミホイルに包んだ餅をおき火の中に入れて焼きます・・・。
どんと焼きで焼いたお餅を頂くと、一年間風邪をひかない、と言われています。。
集落の皆さんも、今年一年どうぞお元気で・・・。
1月3日は、大原浜の船長さん松次郎さんの船で金華山へ渡り、金華山黄金山神社に初詣をさせて頂く予定になっていました。。
ところが、「波がとても荒く小さな漁船を出すのは無理だろう」、、ということで、今回はあきらめることになるのかな、、と思っていたところ、、
大原浜の石森区長さんが、「船を出せないときには金華山を望む一の鳥居というところまで行き参拝をするのだけれど、一緒に行ってみるか?」と誘ってくださいました。
そしてその途中で、このお正月の三が日だけ、鮎川浜から定期船が出ることになっているということで、そこにも交渉してみよう、ということになりました。
ところがすでに予約で一杯だということで、しばらく様子を見てから、、ということになりました。。
そこで、牡鹿半島の展望公園経由で一の鳥居まで参拝に出かけました。
展望公園から望む金華山です。
海がとても美しい。
一の鳥居です。
金華山黄金山神社奥の院の神様は、海の神である大綿津見神(おおわだつみのかみ)と、その娘である市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)です。
市杵島姫神は、女性の神様のため金華山は女人禁制の時代もあったのだそうです。
そのために、島に渡れない女性はこの一の鳥居からの参拝しか出来なかったのだそうです。
神様の世界でも女性は嫉妬深いのですね・・!?
さて鮎川浜に戻りますと、大原浜区長さんのご尽力で、島に渡る船に乗ることが出来るようになったということでした!
石森区長さん、本当にありがとうございます!!
船着き場の休憩中に、面白いことが判明しました。
「絆」の奥田さん、そして奥田さんの奥さんが、農楽母さんと同じウサギ年生まれ。そして、もう一人はれいなちゃん。さらに4人とも12月生まれで、、、
12月9日が二人、そして20日に29日!
大原浜に引き寄せられたウサギ4匹の写真です。
この船で約15分。
3.11位の大地震と津波は、引き潮時には海峡の海底が露呈するほどの大きなものだったそうです。
船長さんは、「地震で海底の形も変わってしまった。海に船を走らせているとその変化がわかる。」とおっしゃっていました。。
エサをあげると咥えに下りて来ます。。
金華山の船着き場です。牡鹿半島から遠目に見る金華山は美しい島でしたが、、桟橋周辺の観光施設、売店、送迎バスなどは崩壊、流出してしまいました。。
この待合所も、天井近くまで土砂で埋まっていたそうです・・。それもすべてボランティアの力でここまで片付けたのだそうです。。
金華山は、3,11の震災、津波とさらに9,21の台風の豪雨のために、土石流が生じ、桟橋は泥の山、参道は崩落という大変な状態になってしまいました。
倒れた石灯籠です。
この道路もすべて土砂で埋まっていたのだそうです。
自衛隊からも行政からも全く放置されたまま10カ月が過ぎ、復旧作業はすべてボランティアの力だけで行われ、お正月のお参りには間に合うように桟橋や境内の泥出し、道路の修復、灯篭の組み立てなどの作業が続けられたそうです。。
「絆」の奥田さんは、12月19日から金華山の作業現場に入りました。
作業現場についての説明をして下さる奥田さんです。
黄金山神社へと続く参道も、まだ充分には修復されていませんでした。。
神社の御本殿です。
ボランティアの力で倒れた灯篭も組み立てられました。
権禰宜の日野さんです。
金華山の復興を祈念して自らの書を手拭にし、支援を呼び掛けています。この手拭は1本1000円で販売されています。
金華山の復興について、詳しいことは http://www5.ocn.ne.jp/~kinkasan/
境内では、途中、シカもお参りをしておりました。。
金華山から牡鹿半島へ渡り、大原浜生活センターへ戻る途中に通った、ある浜での光景です。
このかき集められた山は、ゴミではなかったのです。 震災直前までは生活の中でごく普通に使われていたものたちなのですね・・。
言葉になりません。。
大原浜生活センターへ戻り、石森区長さん、副区長さんにご挨拶をします。
2日間、本当にありがとうございました。
必ずまた伺います!
どうぞよろしくお願いいたします!
大原浜から石巻市内を目指す帰り道に見た夕日です。。
石巻市内に戻り、「絆」へ用具をお返しし、最後のご挨拶です。
「絆」の堀川さんの言葉です。
「震災の被害を忘れないでほしい。いっぺんに大きなお金をポンっとではなく、毎月1000円のような形で長く継続してくれるほうが嬉しい。お米もいっぺんに何百キロもどかん、ということではなく毎月少しずつでも送り続けてくれるほうがありがたい。そのほうが「忘れていませんよ」という気持ちが伝わってくる。そして出来れば、毎月1回でも継続して現場へ来て欲しい。そして刻々と変化していく現地の様子をちゃんと感じ取ってほしい。」
「阪神大震災の時に仮設住宅に入ったお年寄りの孤独死の問題が、今回の震災で活かされていない状況になっている。仮設住宅のまとまりが、地区や行政区をを無視した抽選で行われてしまったところが多く、そういうところはコミュニティー(自治会)の再生が容易ではない。。もとの一つの集落、自治会が一つのまとまりになれば、孤独死の問題は少なくなるはず。それが出来なかった。」
「サンライス元気村」プロジェクトとは、お年寄りの孤独死を阻止するために、一人住まいの高齢者の方々を対象として、毎月1度、袋詰めされた3キロのお米を届けるプロジェクトです。お米にはメッセージを添えます。直接お宅を訪問することで声を掛け合う機会を作り、生活の様子を伺い、1人1人が抱える問題を出来る限り軽減したい。ぜひ、このプロジェクトへの支援もお願いします。」
はい。支援のためのお米を今年も作付け致します!
最後の写真は、「絆」にいる猫、「猫島」さんです!
奥田さん、日野さん、「絆」の皆さん、本当にどうもありがとうございました。
お世話になりました。
また行きます!
皆さん、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
石巻市牡鹿半島大原浜での炊き出しとお餅つきのボランティアのために、1月1日の早朝から大岡を出発し、今朝方午前3時半ころ、無事に大岡に戻ってきましたので、今日がようやく新年のような感じがしています。。
その、活動報告のレポートをお届けいたします。
まずは、、必要な食材、物資関係は様々な下準備を経て、鳴子温泉郷の中にあります永田町黒澤総料理長佐藤さんのご実家へと送られました。
ボランティアメンバーは、1月1日に佐藤さん宅に集合し、打ち合わせ後、荷物を5台の車に搭載。
そして翌日元日早朝、まだ暗い中をまずは、「石巻ボランティア支援ベース絆」の拠点を目指します。
鳴子温泉郷から約2時間、「絆」に到着しました。
『絆」に、支援で届いた暖房器具などを運び込み、逆に、炊き出しで使う道具類を軽トラックに運び込みます。
そして、「絆」から約45分、牡鹿半島の大原浜へと車を走らせます。
牡鹿半島の地図です。
大原浜は、半島の南側、中ほどよりも少し先端寄りの位置にあります。
大原浜の海沿いの家は、もう跡形もありません。。震災直後は、3メートルもの高さの瓦礫の山だったそうです。。
獅子舞と炊き出し、餅つきの会場となる大原浜生活センターです。このセンターも、辛うじて残されましたが、中は土砂で埋まり、ボランティアと地域の人の力でその泥の掻き出しから行われました。窓ガラスが入ったのも、昨年秋になってからだったそうです。。
センターには、集落の神楽に使われる獅子舞の道具が、奇跡的に残されました。
毎年1月2日は、この獅子舞を行う神事の日です。。
その場の賑わいとして、炊き出しとお餅つきをさせて頂きました。。
まずは、本当に多くの方にご支援を頂いた食材の下ごしらえをします。
笠井さん、あやかちゃん、れいなちゃん、デフの高橋さん、田村さん、鹿野さん。。
外では、地元の養殖の牡蠣が届けられ、長野から運びました原伸介さんの炭火で焼かれました。牡蠣を焼く黒澤の田島さん、そして鹿野さんです。
ももくんとれいなちゃんは、頑張って薪割りをしました!
農楽父さんは餅つきの準備を、佐藤さんはトン汁の準備を、アトリエデフの大工さんたちは、炭火焼の準備を進めます。
生活センターの中には、大漁旗が飾られ、祭壇も作られました。 大漁旗、山では見られません!
大原浜の石森区長さんのご挨拶と総代長の松次郎さんの掛け声でまずは、乾杯!です。
そして、獅子舞が舞われました!
集落の皆さん、仮設住宅に移って暮らしていらっしゃる方、半壊状態の家で暮らしていらっしゃる方、、高台移転にも難しい問題が多々あり、それぞれにとても困難な状況にあるのですが、この生活センターがコミュニティーの拠点となり、ボランティアの人も集い、手探りながら一緒に課題を乗り越えて行こうとしています。。
この日の獅子舞は、「辛い毎日の中で、お正月くらいはそれを忘れたい」、そして、、「みんなの心が一つになるように」という大きな願いも込められた獅子舞でもありました。。
外ではお餅つきが始まりました。。
「ヨイショッ!!」と、大きな掛け声をそろえで出すことで体も気持ちもどんどん温まって行きます!
集落の80代のおじいちゃんは、「餅を搗くのは20年ぶりだ。餅は買うもんになっていた・・。今日は久しぶりに餅を付けてよがった。ありがとう。」と、笑顔で喜んでくれたそうです!
こうやって笑顔が生まれ、気持ちがつながっていくことが、とても嬉しい!
笠井さんは、嬉し涙を流しながら合いの手を入れました。。
赤米のお餅と白餅で、紅白のきれいなお餅が搗き上がりました!
そして、村田商店さんの納豆、山田さんのあんこ、原薫さんから届いた間伐材の割りばし。
慶師集落の皆さんと松川村から届いたお野菜と三原屋さんのお醤油、お味噌はトン汁に・・。
「とれたて旬菜」さんからのお野菜は焼きカボチャやカボチャごはん、焼き芋に・・。
ばあちゃんたち、お餅は美味しかったでしょうか・・?
ボランティアの皆さんも美味しかったでしょうか・・・??
そして、神戸の佐野光芳さんからカンパして頂きました、一度も雨に当てない天日干しのお米は、大原浜の皆さんにお分けさせて頂きました。
(株)大辰さん、そして(株)倍速開発さんから支援で頂きました手袋やマフラー、徳永さんのりんご、そして頂ききれなかったお料理等はお土産に・・・。
お土産用のカップは、アイスクリームのサーティンワン、タニザワフーズ(株)の谷澤さんから頂いたものです!
お惣菜のお土産を小分けするのに、とても役立ちました!
そして、、後片付けです・・。
最後に、「福興ファーム点」のメンバーで集合写真!
ここで、デフの小島さん、大工さんたち、鹿野さん、ももくんとはお別れです。
皆さん、連日の徹夜に近いお仕事も含め、、どうもお疲れ様でした!
そして、、まだ日のある明るいうちにすべての片付けも終了し、夜の懇親会へと突入しました・・。
大漁節で盛り上がり、、
獅子舞も登場し、、このお獅子、実は後ろ足が佐藤さんなのです!
集落の神楽太鼓を教わるあやかちゃんとれいなちゃんです。
笠井さんがお気に入りの船長さんの松次郎さん。
松次郎さんは語ります・・・。
「はじめ、何もかも失って絶望していだどき、ボランティアの人が来るって聞いで、何がしてくれるんだと思って何もしねんで黙ってだの。でも、絆の人だちは『これやりませんか?』『ここは私だちでやれるからこっちは俺だぢにやりませんが?』っで、言うの。その意味がはじめはわがらねがったけど、一緒に何がやってるうぢに、自分だちもだんだん元気になってたのす。」
「こうやって来てくれで、コミュニケーションとれるってこどがいぢばん!」
「もし、今度何があんただぢのほうにあったなら、俺だぢが駆けつけて応援する。そういうもんだ。」・・・
ありがとうございます。本当にお互い様ですね。。
困難な状況を乗り越えて頑張っておられる地元の皆さん、そして一番大変な時期から今までずっと活動を継続してこられ、地域の方とのこのような信頼関係を築かれてきたた「絆」の皆さんには、本当に頭が下がります。。
懇親会では、地元の料理として、クジラ肉の甘辛煮、そして、マガモ汁を出して下さいました。
マガモは、この日のために用意して下さったのだそうです。。
海の男たちの大きさ、温かさ、お腹が痛くなるほどのユーモア、そして豪快さ、、何度も胸が一杯になりました・・。
「全てのものを失う」という壮絶な体験をされたなか、このようにボランティアの人をもてなすことが出来る懐の大きさは、一体どこから来るのでしょうか・・。
懇親会の最後は、、牡鹿半島で養豚をされている高橋さん。殿様のまま酔って眠ってしまいましたが・・・!
高橋さんは、「どっちの料理ショー」という番組で勝利した美味しい豚肉を作られていらっしゃるそうです。
牡鹿半島の海産物、捕鯨文化、そして養豚も、、、素晴らしい食材がたくさんそろっている豊かな地域なのですね。。
大原浜の区長さんはじめ皆さん、「絆」の奥田さん、ちせさん、本当にどうもありがとうございました!
そして、「福興ファーム 点」の皆さんもどうもお疲れ様でした!!
また、食材や物資、カンパをお寄せくださった多くの皆さん、本当にありがとうございました。
状況に応じて必要とされる支援の形は変わって行きますが、現地ではまだまだいろいろな力を必要としています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!!