Archive for 12月, 2011
2011年12月31日。
大岡から望む北アルプス、槍ヶ岳です。
2011年は、とても辛い一年でした。。
今、良くこうしてここに生きているなあ、と思います。。
辛いことがあった分、素晴らしいこと、そして素晴らしい出会いもたくさんありました。。
そして、目に見えない世界の働きを、さらに強く深く感じた一年でもありました。
ヒトは、宇宙や自然に対してもっと謙虚にならなければなりませんね。。
新しく始まる2012年が、皆さんにとってどうか素晴らしい一年になりますように。。
心から祈ります。。
農楽母さんは、新年早朝より石巻牡鹿半島の大原浜の支援へと出発です!
農楽息子の手ほどきを受けながら、今日も薪割りをがんばりました・・・!
太い丸太に、まずはくさびを打ち込みます。
くさびを打ち込むと、ミシミシと音を立てながら、丸太が半分に割れていきます。
それから斧を使ってさらに細く割って行くのです。
薪割りをしていると帽子を手拭に取り換え、首に巻いたマフラーも外せるくらいに体が温まります。
農楽子猫のチビ太、薪割りの様子をじっと見ていましたが、、、
ネコで薪を運ぶ際に、、薪の上に飛び乗り、、
ネコ on the ネコ !!
と、なりました。(笑)
薪割り歴8年の農楽息子は、体の使い方が慣れているので長くやっても疲れませんが、農楽母さんはしばらくすると腰が痛くなってしまいます。。
休憩時間に、集落の郵便ポストまで郵便を出しに行きました。。
農楽猫たち3匹も一緒にお散歩です。
途中、ミコ太は雪の上でもお腹を出して、「撫でて撫でて!」と甘えます。。
少し歩いたところに、小さな郵便ポストがあります。。
信州の山奥の限界集落から、大切な人へのお便りが無事に届きますように!
今日も、凛とした澄み切った空気の一日でした。
雪景色の中で車を走らせていると、「ワッ!、きれいだな!写真撮りたいな!」という瞬間がたくさんあります。。
そのたびに車を止めてシャッターを切るのです。。
午前中、下界へ降りていつも農楽母さんを陰で支えてくれている大好きなTさんとお茶をしました。
Tさんは、「のらりっ記」を毎日のように読んでくれていて、「私の支えになってくれているんだよ!」と、励まして下さいます。。
そして今日は、農楽母さんと元祖農楽娘に手作りの素敵なハンカチをプレゼントしてくださいました!!
もう、感涙もののハンカチです・・・。ありがとうございます。。
そしてさらに「福興ファーム 点」の活動にも、農楽里ファームの活動にもカンパをして下さいました!!!
もう、うるうる・・・(涙)
光の粒子を全身にまとっているような、最高の気分で山道を帰りました。
Tさん、いつも応援してくださって本当にありがとうございます!!!!!
そして午後は、石巻の炊き出しのボランティア活動のために、農楽里ファームのある慶師集落のばあちゃんたちが寄せてくれた大量のお野菜を箱詰めし、郵便局へと行きました。
お野菜は、、、白菜、大根、ニンジン、キャベツ、長ネギ・・。
皆さん、それぞれのおうちの冬の保存食です。
それを、雪の中掘り出しに行って下さり、息を白くしながら運んで下さったそのお気持ち、本当にどうもありがとうございます。
お野菜は、いったん東京の永田町黒澤に運び込まれ、そこで総料理長の佐藤さんが下ごしらえをして下さいます。
佐藤さんは、お店が年末で超多忙の中、下ごしらえのお仕事をして下さるのですね・・。
頭が下がります・・。本当にすごい方です。。
永田町黒澤のお付き合いのある魚屋さんからは、ぶり、明太子、かまぼこが、、、そして鹿児島の黒豚屋さんからは黒豚20キロが届きます。。
それから東京では、東京農楽娘の鹿野さんが細かな備品類の買い出しや会計のお仕事などを何度も往復してくださりながら、ハイパワーでこなして下さっています。
鹿野さんのお知り合いで、東京にある「倍速開発」(http://baisoku.co.jp/)という会社の牧貴子さんという社長さんからは、手袋紳士用&婦人用、各10双ずつのカンパが届いたそうです。
さらに、お近くの八百屋さん「とれたて旬菜」さんからも、お野菜のカンパを頂きました!
安曇野にあります、里山保育の幼稚園「安曇野の空の下 季楽」(http://kiraku-azumino.com/kankyo.html)代表の山田季美予さんは、手作りのあんこを5キロ提供して下さるそうです。また、山田さんのお知り合いの農家の方からもお野菜のカンパが届きました!
長野では、h-planテマヒマの笠井さんが支援物資のお願いと集荷、そして細かな目くばせをして下さり、アトリエデフの小島さんも鳴子、そして石巻での様々な手配を進めてくださっています。
納豆の村田商店(http://www.natto.ne.jp/murata/)さんからは納豆140パックがカンパされました!!
そして善光寺門前のお味噌屋さん三原屋(http://www.miharaya.co.jp/)さんからはお味噌とお醤油のカンパです!!
いずれも地元長野の企業の皆さんのご支援です。
これは日頃の笠井さんのお付き合い、そして信頼のお力でもありますし、何よりも志のある社長さんのお力だと思います!!
また、東御市の有機農家「たんぽぽyou農」さんからは、大根ニンジン、白菜が届きました。
皆さん、本当にどうもありがとうございます。
多くの支えてくださる方のおかげで、農楽母さんたちも元気になれます!!
・・・アルプスに沈む今日の夕日です。
そして夜…。
農楽里ファーム母屋では、里帰り中の農楽息子が元祖農楽娘の受験勉強のテコ入れを始めました!
農楽息子は、希望の大学に合格することが出来たので、少しゆとりがあるようです。。
一年以上中学校へ行っていなかった元祖農楽娘は、残り2カ月でどこまで追い付けるかな?
新年お正月は、二人だけで過ごすことになりますね。。。
勉強三昧!?
でも、忘れてはいけないお仕事は、、農楽猫たちのお世話と、薪ストーブの火を絶やさないこと! です!!
そして、、今夜も深夜12時から「福興ファーム 点」の皆さんとチャット会議が始まります。。
深夜労働の苦手な農楽母さんですが、寝ぼけ眼で頑張ります・・・。
澄み切った空気の一日でした。
今日もまた、とても嬉しい支援のお話が届きました。
まず、繊維製品の会社「大辰(株)」さん(http://daitatu.net/)から、マフラー100枚、そして手袋150枚のカンパのお申し入れがありました!!
たくさんのご寄付をどうもありがとうございます!!
石巻の皆さん、とても喜ぶと思います。しっかりとお届けいたします!!
そして次に、農楽里ファームのお米をいつも購入してくださっている神戸の佐野光芳さんから、「今年年間で予約した分のお米をすべて支援に回して下さい。」というお電話がありました!
佐野さんは、玄米と、その食べ方の研究をなさっている方で、今年の予約分は実は特別なお米だったのです。
それは、「天日干しの際に、一度も雨に当てないでほしい」というリクエストがあり、雨に当てないために母屋の軒下にはざ掛けをして特別に干す、というさらにひと手間かけたお米なのでした。。
その大切な特別米を「石巻で使ってほしい」、とおっしゃるお気持ち、本当に嬉しかったです!!
写真の手前が佐野さんです。
佐野さん、特別なお米のカンパ、どうもありがとうございました!!
そして、、夜には炭焼き職人の原伸介さんと、林業家であり、冬は猟師さんとなる原薫さんが「信濃白炭」を持って訪ねて来て下さいました。。
夜の雪道はアイスバーンのように凍っていて運転がとても大変なのですが、遠いところをこんな山奥までお越しくださったこと、本当にありがとうございます。
伸介さんは、福島第一原発事故以降、自分に出来ることとして、福島の仲間の心を和らげるためのツアーを企画したり、「福島原発行動隊」の皆さんと一緒に、その活動を支援する講演活動を続けてこられました。。
伸介さんと薫さんです。お二人揃っての笑顔の写真はとても貴重です!(^^)
お二人が手にしているお皿に乗っているのは、元祖農楽娘が薫さんのために焼いたクレープ!
美味しかったですね!!
伸介さん、薫さん、どうもありがとうございました!!
良いお年をお迎えくださいね!
一昨日の晩から雪が降り続き、辺りは一面の雪景色になりました・・・。
これから数ヶ月間、モノトーンの静かな世界に包まれます。。
昨晩は、信州中野市で野田純子さんのクリスマスコンサートに参加してきました。
純子さん、そして古代茜染染織家の田中ゆきひとさんも、震災以降、アーティストとして様々な支援活動をされています。。
ギターは、日本でも屈指のギタリスト小畑和彦さんです。
農楽母さんも、石巻ボランティアベース『絆』の活動紹介と、『福興ファーム 点』の活動と支援のお願いをさせて頂きました。
昨晩は、富山から駆けつけたバイオリニストの野沢さんも参加されました。
純子さんと野沢さんの「もう一度」という曲、とても素晴らしかったです。
~もう一度 もう一度 あなたを信じていきたい ♪
~もう一度 もう一度 あなたを愛していきたい ♪
愛することは信じること、、、信じていた人に疑いを持たなければならなくなることほど悲しいことはありませんね。。。
農楽母さん、一度信じた人は信じ続けたいと思います。。
さて、、今日は農楽里の軒下にも、ツララが出来てきましたよ・・。
農楽母さん、雪の中で薪割りをしました。
本来薪は、夏の間に冬越しの分を充分に準備しておかなければならないのですが、今年もまたそれが出来ず、、、今頃慌てております。。
農楽母さん、へっぴり腰・・。
農楽子猫のミコ太は、農楽母さんの周りで「雪猫」となっております。。
肉球、冷たくないのでしょうか・・・。猫の肉球も冬はひび割れてくるのですが・・・。
そして、、昨日から、とても嬉しい便りが続々と入ってきています。
「福興ファーム 点」への活動支援の輪が少しずつですが、広がっているのです!
口座開設と同時にカンパを下さる方、メッセージや物資の支援をお申し出くださる方、、集落のばあちゃん達からは、ハクサイや大根などお野菜が届いています。
以下は、新潟在住の農楽里ファームのお餅のファンのお客様から届きましたメッセージです。
『「福興ファーム 点」の記事を読ませてもらいました。
体力では何のお役にも立てないですが、月曜日郵便局へ行ってきますね。
本当にささやかですが皆さんの真心こもった活動のお役にこのような形で参加
させていただくことができることは共にこの時代を生きる者として嬉しく思いま
す。
雪の季節ですので事故などありませんように、と心からお祈りしております。
原発や震災の問題は
中越、中越沖と二度の地震に遭い、心身にダメージを受け今もそれをひきずって
いる私にはとても他人事とは思えないのです。
心には被災された多くの方々のことがあり、何もできないことをもどかしく思っ
ていましたので遠藤さんの活動の末端に関われることは私にも生きる励みになり
ますのでこちらこそ感謝です。』
震災への支援で出会った、沖縄出身の人たちも同じことをおっしゃっていました。
「痛みを知っているから、辛さを知っているから、より辛い状況の人たちのために出来る力を出したい」
と。。
このメッセージは、すぐに「点」のメンバーにもシェアさせて頂きました。
Nさん、本当にどうもありがとうございます!!
また、、炭焼きの原伸介さんからは、炭を5箱も支援して頂きます。
リンゴの徳永さんからは、木箱一箱の林檎の支援を頂きます。
徳永リンゴ園では、今年はリンゴが不作で例年の3分の1しかとれませんでした。。
それなのに、支援に回して下さる志、、本当にありがとうございます!!
一本の木が炭になるまでに、木が生長した年月、そしてそれを山から切り出し、炭へと仕立てる職人の手間暇かけた技。
樹齢数十年のリンゴの木から枝打ち、摘果、葉摘み、消毒、、とこれもまた手間暇かけられて生まれたリンゴたち。
この炭やリンゴのたどってきた小さな歴史を想う時、金銭には換算できない命の尊さと、それを形にして伝える人の力というものを、強く感じます。。
そして、思いを共有できる仲間がいるということ、その輪が広がっているということ、涙が出るほど嬉しいことです。
皆さん、本当にありがとうございます!!
まだまだたくさんの支援、お待ちしております!!
農楽里ファーム、永田町黒澤、アトリエDEF、そしてその仲間たちで作る「福興ファーム 点」は、新年1月1日から1月3日まで石巻市牡鹿半島にあります大原浜という小さな漁村の集落に炊き出し&お餅つきのボランティアに行ってきます。
大原浜の様子です。震災以前はこの更地に家が立ち並んでいました。。
こちらは再建途中の鎮守の神社です。鐘つき堂は完全に崩壊しました。
今後は、この神社再建や、古民家の修復等にも出せる力を出したいと思っています。
1月2日には、集落の獅子舞の行事があります。(獅子舞の用具も津波から守られたそうです。)
この獅子舞の後で、炊き出しと餅つきを行います。。
辛うじて残された集落の生活センターです。
炊き出しと餅つきは、ここで行います。
そこで、のらりっ記をご覧の皆様に、もしお願いできますならば、その際の食材費、輸送費、交通費などの資金のカンパをお願いしたいと思います!!
以下は、物資支援とカンパのお願いです。
どうぞご覧になってください。そしてそして、どうぞよろしくお願いいたします!
物資の支援とカンパのお願い
「福興ファーム 点」
共同代表 佐藤健一(永田町黒澤)
遠藤夏緒(農楽里ファーム)
小島真太朗(アトリエDEF)
笠井宏美(h-plan テマヒマ)
鹿野 都(農楽娘)
暮れも押し迫った慌ただしい時期に、急なお願いで申し訳ありません。
新年1月1日から1月3日まで、「福興ファーム 点」では、石巻市牡鹿半島にある大原浜という小さな漁村の集落へ、餅つきと炊き出しのボランティアに行くことになりました。
大原浜は、震災以前は72世帯165人が暮らす集落でしたが、現在は35世帯81人が仮設住宅や、半壊状態の家で暮らしています。
大原浜では、行政の支援を待たずに自分達で再建できることをすべて自分達でやっていこう、と集落の人とボランティアの力で神社の再建や家屋の修復、地域のコミュニティ作り等の活動に取り組んでいます。
石巻市には、資料のパンフレットにあります「ボランティア支援ベース絆」(http://ishinomakizuna.net/)が、民間の支援団体として震災直後から現在まで様々な活動を繰り広げています。この絆のスタッフの方からお声をかけて頂き、私達も牡鹿半島の大原浜までボランティアに行くことになりました。
そこで、皆さまへのお願いです。
炊き出しや餅つきの際に使う食材、現地で使う食器類の調達のため、また物資の輸送費そして交通費などに使う資金のカンパをお願いしたいと思います。
他に、大原浜で今必要とされている物資としまして、マフラーや手袋があります。
是非、皆さまのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
・資金面での支援をしたい方
ゆうちょ銀行(郵便局からのお振込の場合)
口座記号番号 10170-71976131
口座名称 フッコウファーム テン
他銀行からのお振込の場合
ゆうちょ銀行
店名(店番) ゼロイチハチ支店
預金種目 普通
口座番号 7197613
・物資面での支援をしたい方
農楽里ファーム・遠藤までご連絡ください。
℡090-9669-6954
メール:norari@grn.janis.or.jp
3.11東日本大震災から9カ月が過ぎました。。
まだ春先のこと。。農楽里ファームでは、永田町黒澤の総料理長の佐藤さんからの呼びかけで、「復興支援のためにお米を作ろう」という話になり、永田町黒澤スタッフの皆さん、そして農事通信員の笠井さんや東京農楽娘の鹿野さん親子等仲間たちが集い、手植え、手刈り中心のお米を栽培しました。
そして、アトリエDEFの皆さんからもお米のカンパを頂き、合計300キロの玄米を、被災地にお届けすることになりました。
300キロの玄米のお届け先は、、
・100キロを、福島市内で放射能被害に不安を抱えるお母さんたちが立ち上げた「野菜カフェはもる」さんに。
・100キロを、福島市内の児童養護施設「愛育園」さんに。
・そして、残り100キロを、石巻市内に拠点を置いて活動を続けている「ボランティア支援ベース絆」の活動に。
(100キロのうち60キロは、福島県金山町で活動を始めている「ふくしま子ども元気村」という放射能ストレス緩和のためのキャンプ活動へ。残り40キロは牡鹿半島の小さな漁村大原浜へ1月2日の炊き出し&お餅つきの活動へ。)
私たちは、とれたお米をただ郵送でお届けするのではなく、直接現地へお届けし、現地、現場の人の思いをお聞きし、共有し、それを持ち帰って発信し、さらに新たに何が出来るのかを考えたいと思いました。
現場で目にし、耳にした生の声、そして、震災直後から現場に入り地道な取り組みを続けている仲間たち触れ、私たちも「さらに復興のためのボランティア活動を続けて行こう」、と決意を新たにしました。
そして、「福興ファーム 点」という団体名で、新たに手をつなぎ今後のボランティ活動を行っていくことになりました。
以下、どうぞご覧ください。。
「福興ファーム 点」
土に根を下ろし
風と共に生きよう
種と共に冬を越え
鳥と共に春を歌おう (天空の城「ラピュタ」ゴンドアの谷の歌より)
私達は宇宙の中の小さな点です。
そんな小さな点でも集まれば、
点が線となり
線が文字になり
文字が輪になる
そしてそこには風が吹く
風の先には笑顔があふれる
2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0という未曾有の地震が東日本を襲い、地震の影響から津波そして福島第一原発が爆発するという3重苦に見舞われました。
テレビの報道で流される被災地の状況は想像を絶するものばかりで、被害の少なかった地域に暮らす私たちは、ただその状況を見ていることしかできませんでした。この震災で、私たちは一瞬ですべてを失ってしまうことを知りました。当たり前の日常が、当たり前ではない、ということも知りました。
そして何より、人間は自然の驚異の前ではあまりにも無力だ、ということ。
また、福島第一原発の爆発事故により、原子力発電所の安全神話が崩壊しました。未だに放射能汚染に脅かされている福島県は、あの日から終わりの見えない恐怖と闘い続けています。マスコミに取り上げられることも少なくなり、何もなかったかのようになってきていますが、そんなことはありません。福島原発事故の収束にはまだまだ長い年月がかかります。
私たち大人には責任があります。それは、この地球、この国を生きる未来の子供たちに対しての責任です。
これまで、経済性と利便性だけを追い求めてきた中で見失われてきたものを取り戻したい。
命の大切さ、自然環境、人と人との絆、そして真心・・・
人の記憶は、時とともに薄れて行きます。しかし、今回の大震災を忘れてはいけません。
私たち1人1人は点のような小さな存在でしかありませんが、農・食・住そして心を通して支援の輪を広げていくことが出来れば、と思っています。
当面の支援活動の内容
・放射線被害の不安を抱える福島のお母さん、お子さんたちに安全なお米
をお届けします。
・津波被害の被災地へ、お米のお届けや炊き出しなどの支援を行います。
・建物の修復等の支援を行います。
・「ボランティア支援ベース絆」(http://ishinomakizuna.net/)への支援活動を行います。
12月19日に遡ります。
新宿にお住まいのあかねさん、坂城町で有機農業に取り組む大内くん、そして、あかねさんのお友達のまみさん&よしくん&だいちゃんが農楽里を訪れ下さいました。
まみさん&よしくんは、少し前までお笑いで有名なY興業にお勤めでした。
まみさんは、某女優さんのマネージャーさん、よしくんは、お笑いイベントの企画、営業など。。
3.11の震災直後の直感として、「小金ためても何の役にも立たんようになることもある。自分の食うもんは自分で作るのが一番!」と、脱サラし、これから京都で新規就農の予定です。
有機農業の現場について、大内くんの話を聞くよしくんです。
よしくん、さすが大阪出身お笑いのお仕事をされていただけあって、軽妙なおしゃべりに抱腹絶倒!
そして、よしくんの観音様!奥さんのまみさんは、なんと女猟師原薫さんのそっくりさんでした!
ノートパソコンで原薫さんの写真を拝見します。。
「こんな美しい人と一緒にしないで下さ~い! 薫さんに失礼です~!」
と、まみさん(笑)。
いえいえ、お二人ともとってもお美しいのです!!本当に!
まみさんは、リフレクソロジーやアロマテラピーも学ばれたセラピストさんでもあります。
皆さん、本当に多種多芸です!!
こちらは、、あかねさん、大内くん、そして大ちゃんです。
この晩のお二人も、にゃんとにゃ~くいい感じ(^^)
歓談は、深夜まで続きました・・。
あかねさん、まみさん、よしくん、大内くん、どうもお疲れ様でした!
またいつでも遊びに来て下さいね!
12月18日(日)、農楽母さんは、永田町黒澤の総料理長の佐藤さんと一緒に、宮城県石巻市、そして、牡鹿半島にあります大原浜という小さな漁村へと足を運んできました。。
新年お正月、1月2日に大原浜で開催される地域の獅子舞の行事にお餅つきと、炊き出しのボランティア活動に行くための事前視察のためです。。
東京駅から始発の新幹線に乗り、まずは古川駅を目指します。
古川駅の近くには、佐藤さんのご実家があります。
佐藤さん、懐かしい古川駅にて、、、うっすらと雪が降り積もっていました。
次に、佐藤さんのご実家から車をお借りして、石巻市内にあります「石巻ボランティア支援ベースー絆」を目指します。
「絆」の共同代表、木村とーるさんと打ち合わせをする佐藤さんです。
木村さんは、普段は四国の四万十川流域で「四万十塾」というカヌーツアーやネイチャーガイドをされています。
こちらは北海道釧路湿原から支援に駆けつけた小川さん。小川さんは釧路湿原で「とうろの宿」というペンションを営んでいるそうです。
石巻市内では、長期ボランティアの活動拠点がどんどん減って行く中で、「絆」は、粘り強く支援活動を続けています。
お正月のお餅つきに使う用具の点検をする佐藤さんです。
メジャーやペンライトは当たり前・・。
佐藤さんは、スーツケースにノートパソコンの他にいつでもライトとかコンロなど、サバイバルセットを詰めて持ち歩いているそうです。
これは震災以前からのことなそうで、幼いころには「無人島で生活をしてみたい」という夢を抱いていたそうです。(笑)
さて、、「絆」から車で約45分、牡鹿半島の大原浜を目指します。
途中、道路が歪んでいたりガードレールがひしゃげていたり、、倒壊した建物や倒壊後に更地になった空き地に、震災の爪後を見ました。。
大原浜は、震災以前までは波打ち際から道を挟んですぐのところに集落が広がっていました。
震災以前には72世帯、165人の方が暮らしていたそうです。
それが、地震と津波により35世帯81人まで建物も暮らす人も減ってしまいました。。
牡鹿半島は、半島に入る幹線道路が崩落し、高さ2~3メートルの瓦礫の山になっており、震災以後2カ月たっても人が入れない状態が続いていたそうです。。
大原浜の写真です。写真に写る更地は、倒壊して撤去された宅地スペースです。
波打ち際の防波堤は崩れ去り、土嚢が積んでありました。。
大原生活センターです。ここは、行政的なボランティアセンターではありませんが、牡鹿半島のボランティアセンター的な役割を担うようになったそうです。
その理由は、牡鹿半島の中にある集落の中でもこの大原という集落の特異性があるのですが、大原は石森城という城跡が残る、代々お殿様の家系の方が多いそうで、外から入る人を拒むことなく「よきにはからえ」という、外の人が入ってきても自由に活動させてくれる空気があったのだそうです。
その結果、「絆」をはじめとする民間のボランティアの人たちがどんどん入り、この大原生活センターを拠点として牡鹿半島の他の集落の様々な支援活動に動くことが出来ているそうです。
お正月のお餅つきと炊き出しは、この建物の中でやることになりました。
当日の打ち合わせをする佐藤さん、『絆』スタッフの堀越さん、奥田さん、そして、大原区長の石森さんです。
堀越さんは東京在住ですが、毎週末この大原に駆けつけてボランティア活動を続けていらっしゃいます。芯の強い活動的な女性です。
奥田さんも長く滞在をされ、数日後からは、金華山にある由緒ある神社の参道修復のボランティアに回るとおっしゃっていました。
お二人とも、素晴らしい情熱と行動力をお持ちです。
大原浜には、海に面した高台に三熊野(みくまの)神社という集落を守る神社がありますが、地震によって石段は崩れ、本殿が壊れ、鐘つき堂は完全に崩壊してしまいました・・。
この神社は、集落の人々にとって鎮守様です。
ボランティアの人が初めて大原浜に入った時、あちこちが瓦礫の山になり、道も塞がれている中で、この神社の参道だけはきれいに片づけられていたことに驚いたそうです。これは、集落に残された人々が、「ツンザマ(鎮守様)を治さなくては。ツンザマをきれいにしなければ。」と、心のよりどころである神社のために力を合わせて瓦礫を片付け参道をきれいにしたのだということでした。
この神社の再建には約2000万円ほどかかるそうですが、そんなお金もなく、行政の支援も期待できない中で、「自分たちで治そう」と、集落の人とボランティアの力で修復に動き始めています。浜に打ち上げられた大きな流木を拾って来ては製材をしたり、お金はなくても知恵を出し合って、鳥居も石段も少しずつ再建されつつありました。。
新潟からは、曳き屋の出来る職人さんも駆けつけてくれているそうです。
壊れた鐘つき堂跡です。。
行政からの支援を待つのではなく、「待ってなどいられない」、と、すべてを集落の人とボランティアの力で復興して行こうと、皆さん本当に頑張っておられました。
「絆」スタッフの奥田さんは、山梨県の富士浅間神社へ直談判に行き、神社修復への支援をお願いされたそうです。。
その熱意の結果、「全面的に支援します。」とのお答を頂けたそうです!
そしてその数日後には、山梨県内の神社をすべて束ねて下さったといいますから、奥田さんの情熱も素晴らしいですし、それにお応えしてくださった富士浅間神社の宮司さんも素晴らしいですね!!
手作りで神社を復興していくこと、そのこと自体が「禊(みそぎ)」となり、人が集まって心を一つにして動いています・・・
また、海岸に一番近いところに一軒だけ残された古民家。土台と柱、屋根は辛うじて残されているのですが、この古民家も集落の人とボランティアの力で修復し、地域のコミュニティーの拠点となるようなレストランとして生まれ変わらせることが出来ないか、という活動も始まっていました。
長野・そして東京からも農楽里ファームつながりで何か出来る支援が無いものか、、、
農、食、住、そしてサービス、心、自然の現場に取り組むものとして、、、
永田町黒澤さん、アトリエDEFさん、農事通信員の笠井さん、農楽娘の鹿野さんらと一緒に考え始めています!!