12月18日(日)、農楽母さんは、永田町黒澤の総料理長の佐藤さんと一緒に、宮城県石巻市、そして、牡鹿半島にあります大原浜という小さな漁村へと足を運んできました。。

新年お正月、1月2日に大原浜で開催される地域の獅子舞の行事にお餅つきと、炊き出しのボランティア活動に行くための事前視察のためです。。

東京駅から始発の新幹線に乗り、まずは古川駅を目指します。

古川駅の近くには、佐藤さんのご実家があります。

佐藤さん、懐かしい古川駅にて、、、うっすらと雪が降り積もっていました。

次に、佐藤さんのご実家から車をお借りして、石巻市内にあります「石巻ボランティア支援ベースー絆」を目指します。

http://ishinomakizuna.net/

「絆」の共同代表、木村とーるさんと打ち合わせをする佐藤さんです。

木村さんは、普段は四国の四万十川流域で「四万十塾」というカヌーツアーやネイチャーガイドをされています。

こちらは北海道釧路湿原から支援に駆けつけた小川さん。小川さんは釧路湿原で「とうろの宿」というペンションを営んでいるそうです。

石巻市内では、長期ボランティアの活動拠点がどんどん減って行く中で、「絆」は、粘り強く支援活動を続けています。

お正月のお餅つきに使う用具の点検をする佐藤さんです。

メジャーやペンライトは当たり前・・。

佐藤さんは、スーツケースにノートパソコンの他にいつでもライトとかコンロなど、サバイバルセットを詰めて持ち歩いているそうです。

これは震災以前からのことなそうで、幼いころには「無人島で生活をしてみたい」という夢を抱いていたそうです。(笑)

さて、、「絆」から車で約45分、牡鹿半島の大原浜を目指します。

途中、道路が歪んでいたりガードレールがひしゃげていたり、、倒壊した建物や倒壊後に更地になった空き地に、震災の爪後を見ました。。

大原浜は、震災以前までは波打ち際から道を挟んですぐのところに集落が広がっていました。

震災以前には72世帯、165人の方が暮らしていたそうです。

それが、地震と津波により35世帯81人まで建物も暮らす人も減ってしまいました。。

牡鹿半島は、半島に入る幹線道路が崩落し、高さ2~3メートルの瓦礫の山になっており、震災以後2カ月たっても人が入れない状態が続いていたそうです。。

大原浜の写真です。写真に写る更地は、倒壊して撤去された宅地スペースです。

波打ち際の防波堤は崩れ去り、土嚢が積んでありました。。

大原生活センターです。ここは、行政的なボランティアセンターではありませんが、牡鹿半島のボランティアセンター的な役割を担うようになったそうです。

その理由は、牡鹿半島の中にある集落の中でもこの大原という集落の特異性があるのですが、大原は石森城という城跡が残る、代々お殿様の家系の方が多いそうで、外から入る人を拒むことなく「よきにはからえ」という、外の人が入ってきても自由に活動させてくれる空気があったのだそうです。

その結果、「絆」をはじめとする民間のボランティアの人たちがどんどん入り、この大原生活センターを拠点として牡鹿半島の他の集落の様々な支援活動に動くことが出来ているそうです。

お正月のお餅つきと炊き出しは、この建物の中でやることになりました。

当日の打ち合わせをする佐藤さん、『絆』スタッフの堀越さん、奥田さん、そして、大原区長の石森さんです。

堀越さんは東京在住ですが、毎週末この大原に駆けつけてボランティア活動を続けていらっしゃいます。芯の強い活動的な女性です。

奥田さんも長く滞在をされ、数日後からは、金華山にある由緒ある神社の参道修復のボランティアに回るとおっしゃっていました。

お二人とも、素晴らしい情熱と行動力をお持ちです。

大原浜には、海に面した高台に三熊野(みくまの)神社という集落を守る神社がありますが、地震によって石段は崩れ、本殿が壊れ、鐘つき堂は完全に崩壊してしまいました・・。

この神社は、集落の人々にとって鎮守様です。

ボランティアの人が初めて大原浜に入った時、あちこちが瓦礫の山になり、道も塞がれている中で、この神社の参道だけはきれいに片づけられていたことに驚いたそうです。これは、集落に残された人々が、「ツンザマ(鎮守様)を治さなくては。ツンザマをきれいにしなければ。」と、心のよりどころである神社のために力を合わせて瓦礫を片付け参道をきれいにしたのだということでした。

この神社の再建には約2000万円ほどかかるそうですが、そんなお金もなく、行政の支援も期待できない中で、「自分たちで治そう」と、集落の人とボランティアの力で修復に動き始めています。浜に打ち上げられた大きな流木を拾って来ては製材をしたり、お金はなくても知恵を出し合って、鳥居も石段も少しずつ再建されつつありました。。

新潟からは、曳き屋の出来る職人さんも駆けつけてくれているそうです。

壊れた鐘つき堂跡です。。

行政からの支援を待つのではなく、「待ってなどいられない」、と、すべてを集落の人とボランティアの力で復興して行こうと、皆さん本当に頑張っておられました。

「絆」スタッフの奥田さんは、山梨県の富士浅間神社へ直談判に行き、神社修復への支援をお願いされたそうです。。

その熱意の結果、「全面的に支援します。」とのお答を頂けたそうです!

そしてその数日後には、山梨県内の神社をすべて束ねて下さったといいますから、奥田さんの情熱も素晴らしいですし、それにお応えしてくださった富士浅間神社の宮司さんも素晴らしいですね!!

手作りで神社を復興していくこと、そのこと自体が「禊(みそぎ)」となり、人が集まって心を一つにして動いています・・・

また、海岸に一番近いところに一軒だけ残された古民家。土台と柱、屋根は辛うじて残されているのですが、この古民家も集落の人とボランティアの力で修復し、地域のコミュニティーの拠点となるようなレストランとして生まれ変わらせることが出来ないか、という活動も始まっていました。

長野・そして東京からも農楽里ファームつながりで何か出来る支援が無いものか、、、

農、食、住、そしてサービス、心、自然の現場に取り組むものとして、、、

永田町黒澤さん、アトリエDEFさん、農事通信員の笠井さん、農楽娘の鹿野さんらと一緒に考え始めています!!

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