Archive for 5月, 2011

5月 08, 2011

今日は、永田町黒澤の佐藤料理長さんがお見えになりました。

一緒に農楽里ファーム周辺の山菜を見て回ります。

一番感動して下さったのは、野生のミツバ!

ミツバと言えば、水耕栽培された細長いものしか見たことが無かったそうで、「ェーー?これがミツバなの??」と、その姿かたちにも香りの高さにもビックリ!!

今はちょうど、木の芽(サンショウ)の若芽も美味しそうです。

野生のアサツキも勢いよく伸びています。

母屋のすぐ近くに、これだけの山菜があることに感動しきり! でしたが、、本日一番の感動は、、、

農楽猫チャイに触ることが出来たこと!!(笑)

なんと、、これまで何回もチャイに触ろうとしたそうなのですが、、「僕を見ると避けて通ったり、触れそうだなあ、、と思って手を伸ばすとスッとかわされたり・・」が繰り返されていたそうで・・。「ブログでよく子供たちになついている姿を見てはどうしてかな~??」と不思議に思っていたそうなのです。

今日は、チャイのほうからすり寄って行きましたね!

そして、、お腹も見せてくれましたね!

佐藤さん、遠いところをお越しくださいましてどうもお疲れ様でした。

そして・・満面の笑みをどうもありがとうございました!



5月 07, 2011

農楽里ファーム母屋の裏にしかけておいた小さな箱檻に、テンが入っていました!

本当は、鳥のエサ用のリンゴを食べにくるハクビシンをちょっと懲らしめようと設置しておいた檻でした・・。

テンは農作物を荒らすことは少ないので、、無罪放免となりました!



5月 05, 2011

今日は、まず埼玉から日高どろんこ保育園の鎌田園長先生が遊びに来て下さいました!

良くお似合いのパートナーの方とご一緒です。(本当に瓜二つと言って良いほど、笑顔と雰囲気が似ておりました・・(笑)

そして一緒に安曇野まで車を走らせました。。

安曇野の空の下、自然保育「季楽」さんをご紹介するためです。

「季楽」の山田園長先生と鎌田園長先生、初対面なのですが、もうフィーリングで意気投合したご様子でした!

今日は、「季楽」の田植えの日です。子どもたちはどろんこになって、とても楽しそうでした!

こちでらは、よもぎ餅を製造中です。

鎌田園長先生、思わず「私も将来はこういう保育園をやりたい!やらせて下さい!」と、パートナーさんに詰めよっておりましたです!?(笑)

鎌田さん、山田さん、どうもお疲れ様でした!

さて、、農楽里に戻りますと、農山漁村文化協会(農文協)の新人職員のお姉さんがお見えに・・・。

出来立てほやほやの「かわら版農楽里」を持って頂きまして・・・パチリ!

年4回発行されている「食農教育」という雑誌の5月号は、15歳からトラクターを使いこなす「農業少年」の大特集なそうです。(農業少年、すごいですね!)

そこへ新たにお見えになりましたのは、車で45分ほどのところにお住まいの古山さんご一家です。

大岡のフレンチレストラン「トマテ」さんでお食事をされた後に立ち寄ってくださいました。

古山さん、どうもありがとうございました!

今日はお客様にたくさん元気を頂きまして、、、夕方にはジャガイモの植え付け作業を無事終えることが出来ました。。

今年のジャガイモは、きたあかりとアンデス赤じゃがの2種類です。

夕日を浴びながら、農楽猫チャイと二人、家路につきました・・。



5月 05, 2011

大岡に戻ってきますと、とても嬉しい贈り物が届いていました!

東京の農楽娘さんからの母の日の贈り物でした!!

お部屋の中がパッと明るくなりました!!素敵なアレンジメントを本当にどうもありがとう!!チュッチュ!

このお花に似合いそうな空間が埼玉県飯能市にあります。

「ロビングッドフェロー」さんというアンティーク雑貨のお店です。

オーナーの丸山悦子さんは、農楽母さんの埼玉時代からの友人です。お店にはかわら版農楽里も置いて頂いております。

小さな空間ですが、まるでメルヘンの世界のようです。。

アンティークに興味のあります方は、ぜひ一度訪ねてみてください。

きっと素敵な雑貨や古布が見つかることと思います!



5月 05, 2011

岩手へ行ってきました・・。

盛岡駅の周りにはマンションが林立し、昔の風情のある面影はなくなっていましたが、久しぶりに見る岩手山は、やはり雄々しく美しい・・。

こちらは天然記念物の石割桜です。岩をも割って育ちゆく植物の持つ生命力!

盛岡駅前では、被災地支援のためのチャリティーイベントが行われていました。

そこでお会いしましたのは、遠く熊本からバスで駆けつけてきた皆さん。

なかでも、沖縄のご出身で、現在熊本で「どぅしぐわぁー」(沖縄の言葉で友達)を営んでいらっしゃる店長さんは、サータアンダーギーという沖縄のドーナツを被災地を廻りながらお配りしているとのことで、もう、8000個以上も揚げていらっしゃるという事でした。

一緒に写っていますのは、地元の高校の郷土芸能クラブの子。被災地を廻り、「さんさ踊り」で励ましています。

農楽母さんは、岩手県鍼灸師会の方お二人に同行させていただき、三陸海岸の宮古市へボランティアに行ってきました。

驚いたのは、鍼灸師のお一人のYさん、何と農楽母さんの高校時代の同窓生!!三十数年ぶりの再会です。

彼女は、超エリートコースを歩みまして!・・・超有名国立大学から超有名大企業へ就職。しかし、そこで見聞したものと、世界を旅して歩く中から「このまま行けば、地球はもうそう長くはないな」と直感し、離職して、青年海外協力隊員としてタンザニアに赴いたそうです。。

帰国後は、自然に寄り添った暮らしがしたいと無農薬の米作りに励んだり、体のことを学ぼうと東洋医学の学校へ入り、現在は鍼灸師として開業されていました。

全く別の道を歩みながら、このように出会えるとは、なんという巡り合せでしょう!と、お互いに驚きました。

高校時代の記憶を色々とたどって行く中で、、Yさんとは、高校一年の時にちょっと変りものの!?女子3人で座禅の合宿に参加したことを思い出しました。

きっと、当時から、あるいはもっと幼いころから物質的なものよりも何か精神的なものを求めて生きていく運命だったのかもしれません。。

避難所となっている宮古市総合体育館です。

緑色のテントは、お風呂でした。

避難所の中の様子です。

被災者の方は、プライバシーの無いこの空間でもう2カ月近くも暮らしています・・。

家族も家も失い、たった一人になってしまったおばあちゃんの痩せこけた背中。。

色々な心配事、それに加えて避難所での人間関係の難しさ、、夜にぐっすりと眠ることが出来ないそうです。

少しでも楽になって頂けたら・・・、と思い、お話しを聞きながら、体をほぐします・・。

若いお姉さんもお母さんたちも、、家も仕事も失い、、職場そのものが消えてしまい、これからどうしたらいいのか、と。。

肩が凝り、頭痛もひどく、顔の表情が重くなっています。。

施術を終えると、少し表情が明るくなり、「気持ちよかったです」とおっしゃって頂けたこと、そして、逆に「お礼です」と、弁当やジュースを手渡して下さったこと。。涙が出そうになりました。

生き延びた人たちが、暮らしを立て直していくために、そして深く追った心の傷と体のケアのために、まだまだ多くの力が必要になるのだと、強く感じました・・。



5月 05, 2011

4月29日。

東京御茶ノ水の明治大学アカデミーホールを会場に、「終焉に向かう原子力」第11回というシンポジウムが開かれました。

1000人の会場に1200人が入り、それでも、1000人近くが会場に入ることが出来なかったというくらい大勢の方が集まりました。

皆さんの関心の高さが伺えます。

シンポジウムでは、浜岡原発現地報告ということで、まず、明治大学客員教授の生方卓さん、浜岡原発を考える会の伊藤実さん、日本福音ルーテル掛川・菊川教会牧師の内藤新吾さんによる現場からの報告がありました。

その後、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんの講演、ジャーナリストの広瀬隆さんの講演と続きました。
当日の講演会の映像です。

http://www.vimeo.com/23141252
マスコミでは報道されない研究者の視点、市民の視点、原発現場からの視点、ジャーナリストからの視点。

皆さま、お時間のあります時に、どうぞご覧になってみてください。。

農楽母さんは、小出裕章さんの人間性に心魅かれるものがあります。

講演の冒頭に、小出さんが語った言葉です。

「・・・私自身は原子力に携わってきた人間ですが、いつか起きると思っていました。原子力発電所というものは、とてつもなく巨大な危険を抱えたものです。それを、電気を使う都会では引き受けることが出来ずに過疎地に押し付けて、長い送電線で都会に電気を送るということをやっている、というものです。私は、それに気がついたのが40年前。

それから、なんとか一刻も早く原子力発電所を廃絶したいと思い続けてきました。こんな事故が起きる前にと思っていたけれどとうとう起きてしまい、今、福島ではとてつもない悲劇が進行しているわけで、それを防げなかったということを、言葉では尽くせない無念さで毎日を過ごしています。

また、原子力という場に携わってきた一人の人間として、今回の事故を防げなかった責任が私にもあると思います。皆さんに対して本当に申し訳ありませんでした。ごめんなさい・・・」

小出さんは、喪に服す黒いスーツとネクタイ姿で「ごめんなさい」、と、涙声で語り、聴衆に頭を下げ謝ったのでした・・。

一貫して原子力発電に反対の姿勢を通してきた立場なのに、今回の事故を我が身にも責任があると引き受け、さらに「ごめんなさい」を言えるこの強さ、真摯さ、誠実さ・・・。

小出さんは、弱きものの立場に立ち、弱きものたちと共に生きて行こうと決意した瞬間から出世の道を断たれてしまいました。。

と、言うよりも、自ら断ちきったのですね・・。

でも、誰にもおもねることなく、誰からも命令されることもなく、そして誰にも命令しないですむというこれまでの立場を何ら後悔していない、と語っています。

今、小出さんの人間性や生き方に共鳴する人が世界中で広がっています・・。