昨年2010年の5月10日は、須藤康花さんの一周忌の日でした。。

農楽母さんはちょうど一年前、一周忌に開かれた康花さんの個展のために上京したのでした。。

そして、今年は、康花さんの画集が手元に届きました・・。

「夢幻彷徨」-須藤康花画文集ー  発行 東京図書出版 発売リフレ出版 定価 本体3000円+税

「須藤康花 田舎の詩情ー麻績村の四季ー」        同上        定価 本体2500円+税        

お父様である須藤正親先生(東海大学名誉教授)が編纂された作品集です。

農楽母さんと須藤先生、康花さんとの出会いは9年前。

大岡村のお隣の麻績村に百姓庵をかまえ、東京と麻績村との往復の生活の中を送りながら、先生は大学の講義と百姓仕事に、、康花さんは創作活動と百姓仕事に取り組んでおられました・・。

そして、農楽家族大岡移住の準備の際には、麻績村の百姓庵に何遍も寝泊りをさせて頂いたのでした。。

康花さんは、2歳でネフローゼを発症、以来闘病生活を送りながら絵を描き続けました。

そして、わずか30歳8カ月でその生を閉じたのでした。。

物静かで思慮深く毅然としていながら、子どもたちに向ける眼差しはいつも温かでした。・・「いつか、百姓庵の母屋の隣にある土蔵をアトリエにして、村の子供たちに絵画教室を開くことも夢の一つだ」と、語ってくれたことがありました。。

「夢幻彷徨」の後半部には、康花さんの散文や詩が記されています。

その始めには、先生の想いを寄せたのでしょうか、、バルザックの詩「軌跡」(「谷間の百合」より)が扉として記されています。

「わたしの物語がよくわかるには、あの美しい年頃にかえっていただかなければなりません。つまり口はまだ虚偽を知らず、欲望やら気おくれやらで目蓋は重く垂れていても、眼差しは素直で、精神は少しも世の中の偽善に慣れず、臆病な心もはなはだしいが、衝動的な親切もまた同じように甚だしい、あのうつくしい年頃です。」

以下は、康花さんが17歳の時に記した文章です。

「・・・それからたぶん、これが恐らく今後の自分の絵のあり方、否、絵に限らず、自分の精神性の問題として基盤を築き上げることになるであろう。(略)自分は世界に眼を向けることはしないだろう。向けたところで、それらを父のように頭の中で整理し理解するという至難の業は到底無理だからだ。だから自分は、油絵型上村松園の二代目のような、自国の小さな平凡な世界、そういうものを一生涯追求し続ける平凡な作家でよいと思う。ただその平凡な中にも、さすがに未だ欲が残っていて、今まで先人が試みて成功しえなかったような陰影の効果を高め、その中から生まれる日本の世界、そのようなものを描いてみたいと思う」

「自分は古き良き日本の“静”と“闇”の世界を、日本画としてではなく、油絵で頂点をつらぬきたいと思うようになったのだ。何故このことにもっと早く気づかなかったのかと思う」

そして、次の詩は、辞世となるいくつかの詩の中の一編です。

「 怠惰だった  」

春の香りがする

風がとてもやわらかだ

夕べは発作的に救急車を呼びそうになった

死ぬ時はあれよりももっと苦しいのだろうか

私の人生 人の為に何もしてこなかった

怠惰だった  

このスケッチは、8年前、康花さんが描いてくださったものです。。農楽里ファーム母屋の居間に飾ってあります・・。

今、康花さんの画文集を手にして、想います。

創作活動として「闇」と「光」の世界を追い続け、また自らの心の底知れぬ「闇」とも対峙し続けた・・・

もちろん、見失いそうになりながらも微かな光を求め続けた・・・

既に老成した魂が生を受けることもある。

そして、時は必ずしも全ての人に同じ比重では存在していない・・・。

       



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須藤康花美術館 | 農楽里ファーム on 2月 3rd, 2013 at 6:24 PM #

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