先日、児童養護施設福島愛育園へ行ってきました。

10年前の東日本大震災によるの原発事故の後で、農楽里のお米をカンパしに行ったことが最初の出会いでした。その翌年から、園の子どもたちを農楽里ご招待する保養キャンプの活動が続けられ、一昨年まで13回のキャンプ活動が実施されました。

今年の夏は、本当は昨年開催するはずだった愛育園の子どもたちの久米島体験ツアーを実現させようと、打ち合わせを進めているのです。

昨今はオンライン会議が主流ですが、ご支援して下さる方のご案内、視察を兼ねていましたので、足を運んできたのです。


福島愛育園は明治26年に、日本の社会福祉事業の先覚者である瓜生岩子がその前身となる養育園を設立、現在に至る児童養護施設です。

瓜生岩子は、仁慈隠てき(じんじいんてき てきの漢字が変換できず、、)「人には皆、他人の不幸を平気でみているには、耐えられない心がある」という理念のもと、養育施設を開設したのでした。

岩子の偉業は養育施設だけでなく、戊辰戦争の際には、戦傷者の看護を敵味方なく施し、その献身的な活動は、新政府軍の大将板垣退助を感動させるほどのもので、日本のナイチンゲールとも称されたそうです。

63才の時には、日本資本主義の父と言われた渋沢栄一に要請され、彼が院長をしていた東京養育園で幼童世話係としても働き、他にも、数多くの社会貢献事業を成し、明治29年に、女性としては初めての藍綬褒章を授賞。愛と慈愛に溢れ人生のすべてを人のために捧げた生涯だったそう。

明治時代に、本当に素晴らしい女性がいたのですね!

次回は、喜多方市にある「瓜生岩子記念館」も訪ねてみたいと思いました。

写真は、園長の長谷川さんと。

Post a comment

Name: 
Email: 
URL: 
Comments: