梅雨が明け、ここ標高800メートルの山中も朝からとても暑いです。
あまりにも熱いので日中はもう外へは出られません。。子猫たちものびきっています。。
・・・話は3日前、7月7日に遡ります。
埼玉県川越市に川越胃腸病院という病院があります。
農楽母さんは、いろいろと不思議な縁に運ばれまして、、この川越胃腸病院を訪ねてきました。
望月院長先生はじめ医療・看護スタッフの皆さんの笑顔や挨拶、応対が素晴らしく「ここは病院?」と首をかしげたくなるほど、いわゆる病院であることを忘れてしまうような空間を作られています。
まず、「病院」のにおいがありません。
つぎに、先生もスタッフの皆さんもにこやかで気づかいが細やかです。皆さん明るく「こんにちは!」と、声をかけてくださいます。
そして、皆さん、この病院に勤めていることに心から誇りを持っておられます。「仕事はとてもやりがいがあります。そして楽しいです。院長先生がとても大きな存在でみんながまとまることが出来るんです」と、まだ年若い女性看護師さんが笑顔で語ってくださいました。
皆さん、それぞれの役割の中で「より良くあろう」とし、「より良くあるためにはどうすればよいのか」を、瞬間瞬間で判断されているのだと感じました。
これは、誰かの指示を待っていては出来ないことですね・・。
望月先生は、人として大切なことに3つのことを挙げておられます。
一つは素直であること。
次に、人を思いやることのできる謙虚な気持ちを持つこと。
そして、心からありがとうと言える感謝の気持ちを持つこと。
スタッフの皆さんは、この3つを大切にしています。
そして、望月先生も、一年に2回スタッフの全員一人一人と向かい合ってお話しをする時間を必ず取り、1人1人の心に寄り添おうとされています。
さて、、この素晴らしい川越胃腸病院に、沖縄から安田未知子先生が訪ねてこられました。
NPO法人茨城県経営品質協議会理事の鬼澤慎人さんと川越胃腸病院スタッフの小川卓さんの2年越しの熱い思いによりまして、安田先生との院内座談会が催されたのです!
安田先生は、第2次大戦中、「ひめゆり学徒隊」におられ、軍と学校間との伝令を務められたそうです。
とても80歳とは思えぬ若さ、そしてパワーがみなぎっておられます。
毎日、深夜2時に就寝、そして午前4時に起床!という生活をこなされているそうです!!(仰天!)
それは、常にだれかのため、何かの為に役に立ちたい、働かなければ、と思うからなそうです。
先生は、今でも無性に苦しくなり、毎年6月には目が腫れるほど涙を流します。
「6月は一番淋しいとき。目が腫れて何もできなくなる・・・」
戦争中に経験された言葉には尽くせない悲惨な経験を通して「なぜ自分が生きているのか。生とは何か、死とは何か」と煩悶を繰り返す中で、「自分はまだ人間になりきれていない。生きている自分の役割を弱い立場の人たちのために尽くそう」と、睡眠時間を削ってでも懸命に努力を続けておられるのだと思いました。
安田先生のお考えになる、沖縄の方の長寿の秘訣について。。
食べ物については、何よりも、地域の自然食。沖縄の年配の方は、ブタにしても「どこのブタね?」と、その出所を確かめるのが当たり前なのだそうです。そして、安心できるところのものを口にします。
それから、心の持ち方について。
「まず、生きていることに感謝をする。そして、全ての人が健康で幸福でありますように、と人のために朝晩祈る。(自分のためには祈らない)」
農楽母さんは、子どもたちについての祈りが、印象に残りました。
「真ん中通して下さい。(端と端ではなく、一番に・・でもなく)」
端っこは危険なので、、そして、人より上に立つような一番になることを願うのではなく、ただひたすらに「真ん中を通して下さい」と祈るのだそうです。
まだまだ心に残るいろいろなお話がたくさんありましたが、とてもここには書ききれません。。
最後に一つだけ、、、
安田先生と望月先生の一致した若さと魅力の秘訣!
それは「万葉集」!!
「万葉集」を読んで、脳内恋愛をする!!(笑)
望月先生は、万葉集を読んで飛鳥の里を散策する!
これが何よりの楽しみであり、若さの秘訣なのだとか・・!
いつの日か、安田先生、望月先生と一緒に飛鳥地方を訪ねてみたいですね・・。
安田先生、望月先生、とても素晴らしいお話しを本当にどうもありがとうございました。
また、このような機会を作って下さいました鬼澤さん、小川さんに心から感謝!!です。ありがとうございました。
そして、ナイチンゲール看護論について熱く語ってくださいました川越胃腸病院の野口看護部長さん、ウガンダの子供たちの社会支援の活動に取り組まれている鬼丸さん、楽しいひと時をご一緒させて頂きまして本当にどうもありがとうございました。
皆さん、またいつかお話をお聞かせ下さいね・・。