Archive for 8月, 2018
今朝は、一気に気温が下がりました。
日中も気温は上がらず、母屋の中は20度を切る肌寒さでした。
涼しくなりましたので、畑作業がはかどります。
午前中は、玉ねぎの種まきを。それから、カボチャの収穫です!
収穫というよりも、草に埋もれたカボチャの実を探し出す、という表現の方が正確かもしれません。
本日の収穫は、まだこれくらい。。
明日もまた、カボチャ探しを続けます!
先刻、夕飯を頂いている時に、障子が淡い赤紫色に染まっていて、不思議だな、と感じました。
ちょうどそこへ、リンゴのトクナガさんから電話!
「外へ出て空を見てみなさい」
??、と思い、北側の窓の外を見ると、、、
「わ~!すべてが赤紫色に染まっている~~!!」
慌てて玄関から南側に出てみると、もう、空一面が淡い赤紫!
時刻は、18:48でした。
もう少し早く気がついていれば、もっと赤みの強い、明るい赤紫色だったかもしれませんね、、
トクナガさんによますと、紫色(ピンク~赤紫、紫)は女性性を象徴する色とのことですが、それならば、紫色の空で世界を包み、世界中から戦争がなくなればよいですね、、
今日の午後は、玉ねぎの種を蒔こうと思い、畑へ出ました。
ところが、蒔き床の準備をしている途中で、急に土砂降りに!
バケツをひっくり返したかのような、強い雨でした。
慌てて退散し、シャワーを浴びて、一息です。。
今年の夏は、ひと月以上雨が降らなかった乾期と、毎日のように雨が降り続いている雨季の、両方がある感じです。
とにかく、極端なのです。。
果樹農家の知人は、雨が降り始めて「これで灌水の作業から解放される」と思ったとたんに、腰が重くなってしまったそうです。ホッとして、気が緩んでしまったのですね、
まだこれから実りの秋まで、身体に気を付けながら頑張らないと、、です!
のらCaféウッドデッキを貸し切りで、百年栗の木陰での読書タイムを楽しむお客様です。
今日は少し雲がかかっていましたが、戸隠連峰を望みながら、、
「もう、気持ちが良すぎて離れられなくなります・・・普段東京で、どれだけ窮屈なところにいるのか、、と感じました。。」
とのこと。。
農楽里にいる間は、心地よい風を感じながら、存分にのびのびーーっとしてくださいね~!
本当は、あの、ピーカン照りの毎日の日に、干せば良かったのですが、今頃になって、梅干しを干し始めました。。
このところ連日、夕立がありますので、午後には母屋に仕舞わなければならないのですが、それでも8月中には干し上げてしまわないと!と、慌てて外に出したのです。
完熟の梅を使いましたので、梅漬け状態でも、とろとろに美味しい!
赤紫蘇の量が少なかったので、赤い色の濃さはもう一つですが、、それでも、美味しい梅干しが出来上がることでしょう!
昨晩の雨で、畑の作物たちも、木々の緑も、息を吹き返しました!
でも、まだもう少し、、、
雨が欲しいですね、、
昨晩の雨では、土の表面から下1センチにも水が浸みていませんでしたので、あっという間に乾いてしまいました。。
キャベツを移植するにも、玉ねぎの種を蒔くにも、もう少し土の中に充分な水分が含まれていないと、、です。
先刻から雷鳴がとどろき、待望の雨が降り始めました。
全身で、安堵しています。。
何しろ、歩くと土ぼこりが立つような状態でしたし、、
ついに、サツマイモの葉も枯れてきたのです、、
宮沢賢治の「雨ニモ負マケズ」の中に、
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
という文章がありますが、まさに昨年は冷夏と日照不足でオロオロとしましたし、今年はひどい日照りの干ばつで涙を流しました。
この感じは、自然相手の農的な暮らしをしてみないとわからないことでした。
「お日様に照ってほしい」とか、「雨が降ってほしい」というような、自然に対しての切なる願いや祈りが、素朴な自然崇拝、自然信仰のもとなのであろうな、、と思います。
今日の夕暮れ時には、またフラフラになりながら、ニンジン畑にバケツで水やりをしたのですが、西のアルプスの方角に垂れこめている黒い雨雲を見て、「こっちにも来て、雨を降らせてください、、」と祈りました。
篠ノ井辺りでは、田んぼの稲も枯れた、という話も聞きましたので、干ばつで困っている多くの人が、天に向かって雨乞いをしているだろうと思います。
ぁ、、外の雨音が小さくなってきました。。
今降っている雨には、もうしばらく降り続いていてほしいです。。
毎年、小さなお嬢さんとお2人で夏休みにステイにお越し下さる母娘さん、、
農楽里貸し切りで4日間、ゆったりのんびりとした夏休みを過ごされます。
今朝のモーニングには、採れたてのキュウリとミニトマトをそのままに、、
「何も味を付けなくても、美味しい~!」(^^)
時間を忘れて、ゆっくりとされてくださいね~!